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「EVカーって発想の転換が必要では・・・」 【政治・社会・科学技術】


 今日、ダイヤモンドオンラインのウェブ記事で、GMが素晴らしい性能のEVカーを開発したとの記事があったので、速読してみた。

 最大出力 100kw(約134ps)、トルク 542Nm、加速力が約8秒/0~100mだそうです。日産や三菱のEVとはケタ違いの性能のようです。プラグインもダブル(急速と通常)だそうで、日本メーカーにとっては脅威になりそうとの記事でした。

 でも、どうも、EVカーって、エンジンに経費の重きがある燃焼機関カーと違って、バッテリーセルに経費の重きが相当高くあると思いますし、バッテリーって消耗品なのに、そんなに重い上に、パッケージ的な構造体のようなので、交換すると一気に全部ですよね~、う~ん、これ、車一台買い替えるのと同じというケースがバッテリーがいかれる度に起こるってことかな~。バッテリーって、環境変化に弱いから、そんなに耐性がないものと考えるのが普通だし、と思い、EVカーって、そんなにいいものなのだろうか、と考え込んでしまう対象です。

 それは、結局、バッテリーのパッケージ的な扱い、車の基幹部品的な扱いにあるのかなあ~、と。

 バッテリーセルの扱いが、基幹部品意識から消耗品意識にかわったら、何かあった場合のコスト軽減になり、う~ん、と考え込んでしまうこともないような気がします。基幹部品から消耗品に代わった例としては、パソコンが本体内組み込み式から外部取り外し式に記憶部分がなった例があると思いますので、EVカーでもそんな発想の転換がないんでしょうか?

 取り換え式のハードディスク感覚にバッテリーセルがなれば、個々のセルがおかしくなった時点で、ユーザーが自分で換える、あるいは、そろそろ危なさそうだから換えようか、もう少しセルがあったほうが良さそうだから、加えておこうか(ラック的なものがあれば可能だし)、といった、ユーザーに主体性があるというか、コスト感もユーザーが考えながら出来るような気がするのですけど。

 取り換え式であれば、ピラーみたいな構造体としてだけ必要な部分にラックを設けるといった、他の機能やデザインを制限することなくできるような気がしますし、そういう場所であれば、気楽にユーザーも交換できると思いますけど。コンビニやカーショップで気軽に買えるし。

 カーメーカーは、もっと柔軟に考えていただけないのでしょうかね~。

と、今日は写真にかえて、妄想を。


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[ 2012/12/06 12:30 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

はかない夢だったのか、「光より速い」は・・・

「光の速度より速いニュートリノ」は幻という大きなニュース。草葉の陰でアインシュタインはどう思うのでしょう。
 「光」は写真にとって切っても切れないものですが、カメラでいくら望遠で遠くをみても、そのままリアルタイムで見られるのは、その光の速さによってですね~。このニュースでもって改めて感じました。光にとって見れば37万km先の月なんて、動いていない程度なんでしょうね。

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BREAKING NEWS: Error Undoes Faster-Than-Light Neutrino Results
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by Edwin Cartlidge on 22 February 2012, 1:45 PM | 0 Comments

It appears that the faster-than-light neutrino results, announced last September by the OPERA collaboration in Italy, was due to a mistake after all. A bad connection between a GPS unit and a computer may be to blame.

Physicists had detected neutrinos travelling from the CERN laboratory in Geneva to the Gran Sasso laboratory near L'Aquila that appeared to make the trip in about 60 nanoseconds less than light speed. Many other physicists suspected that the result was due to some kind of error, given that it seems at odds with Einstein's special theory of relativity, which says nothing can travel faster than the speed of light. That theory has been vindicated by many experiments over the decades.

According to sources familiar with the experiment, the 60 nanoseconds discrepancy appears to come from a bad connection between a fiber optic cable that connects to the GPS receiver used to correct the timing of the neutrinos' flight and an electronic card in a computer. After tightening the connection and then measuring the time it takes data to travel the length of the fiber, researchers found that the data arrive 60 nanoseconds earlier than assumed. Since this time is subtracted from the overall time of flight, it appears to explain the early arrival of the neutrinos. New data, however, will be needed to confirm this hypothesis.

 どうも時間を図るためのGPS受信機とニュートリノ測定器の電子回路との間の光ケーブルのコネクションにエラーがあったようだ、とサイエンスインサイダーが伝えています。

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[ 2012/02/23 14:52 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

科学者の社会への発信のあり方

 今日は六本木にある某大学で、「社会に対する科学者の責任」というシンポジウムを傍聴した。その基調講演では、前全米アカデミーの会長でサイエンス編集長 アルバーツさんと元東大学長の吉川さんが話をされた。アルバーツさんは全米アカデミーでの経験と社会への発信について実施してきた多様な取り組みについて、吉川さんは、社会への科学者の助言と社会との関係での研究、という二つの話をされた。
 お二人の講演で共通していたのは、科学の世界からの社会への発信については、「コンセンサス」と「ニュートラル」の発信が大切であるということでした。要は、科学の世界からの発信は、社会のプレイヤーたる専門家に混乱を持たせる発信は駄目だとということであった。吉川さんは、今回の震災対応での科学の世界の失敗は、学会や個人という議論を戦わせ、異なる見解が当然のところが発信してしまった、あるいは、マスコミ等もそこに求めてしまったところにある、アカデミーがコンセンサスをまとめ、そのコンセンサスを科学からの発信として出すべきであった、という話をしていました。
 確かに、原子力村と大批判をあびる原因となったのは、まさにこの混乱した発信であり、数値の羅列と異なる測定・メジャーが混乱した乱用と根拠のない安心宣言がいたるところにはびこり、また、何も考えないマスコミ(一部は正確に意味も含めて説明しながら丁寧にしていたものがあったのは確かだが)が、そのまま、センセーショナルに、かつ、ワイドショー気味に垂れ流したことにあると私は思います。
 有事の際の科学からの発信、見解は、アカデミーが即座にコンセンサスをまとめ、発信するということを社会的約束にしていくべきだと思います。人がいちいち集まらなくても、フェースブックといったSNS等も活用しながらやれば、かなり早急にまとまるでしょう。そのためには、アカデミーには包み隠さず、リアルタイムに有事に関する情報を提供すべきであることは言うまでもないと思う。
[ 2011/10/05 19:59 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

今後のエネルギー論について

今後のエネルギーに対する考え方

 エネルギー論争においては、福島第一原発事故とそれに端を発した電気供給抑制を踏まえて、「原発再稼働」、「脱原発」やら「再生エネルギー」という言葉が飛び交っています。それぞれエネルギー生産・供給という観点では理路整然として甲乙つけがたい論だと思いますし、直近、中長期、未来を通した課題の解決にとって、どれが一番良いかも判断しきれる情報も不足し、論理も納得できない展開になっているとも思います。エネルギーの生産・供給は国民生活、産業活動のみならず、電気を使った芸能や芸術等文化の維持・発展にもかかせないものですので、極めて重要な論争です。

「しかし、まてよ?」と私は思いました。十数年前に社会を席巻した「省エネルギー」や数年前に席巻した「ゼロエミッション」という言葉はどうしたのでしょうか?エネルギーの生産・供給が不足するのであれば、更に一層需要・消費を減らすしかないのではないかと思うのが当然ではないでしょうか。
 私は新し物好きですので、新製品や新技術が発表されるとパンフレット等を集め、興味津津と眺めますが、ここ数年、そのパンフレットの性能表できになるのが消費電力の軽減の伸びが小さくなったり、消費電力回避の新技術が既存技術の延長上のものが多くなっている、と感じています。統計をきちんと取って比較していませんので正確な数値は表現できませんが、印象として正しいと思います。

 生産・供給の確保に目を向けるのはとても大事ですが、生産・供給の拡大は技術的にはおそらく既存技術の延長上ですんでしまうのではないでしょうか。何故なら、生産・供給は基本は「マス」の問題ですので、施設・設備の規模を大きくすれば必然的に拡大を確保できるからで、敢えて飛躍的な技術の転換は必要とはしないと思われます。もちろん、これは原則論で、個々の技術については新しい知見や知識が取り込まれ、「改善」はされるのでしょうが、しかし、「根本的な技術基盤」は地動説のような真逆の転換はないと思います。

 一方、エネルギー消費省力技術は、既存の考え方に基づく根本的な技術基盤の延長上ではほぼ限界に来ているのが正直なところなのではないでしょうか。ですが、この技術は日本が世界一の技術を現在でも有しているし、強固な技術基盤を構築している分野です。この技術を更に数段階進んだ技術に発展させることは、日本に世界を牽引する新たな産業を構築することになるでしょうし、産業だけではなく、「日本スタイル」という生活様式、文化を世界に」広げる良いチャンスでもあります。また、原発事故で加害者になってしまった日本が、世界の模範たる究極の「省エネ」社会を示すことでせめてもの罪滅ぼしになるのではないでしょうか。
[ 2011/08/22 20:58 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

理解が困難な「反脱原発キャンペーン」と今後のエネルギー開発の方向

 菅首相が記者会見した内容について、政界、マスコミ、経済界とこぞって反キャンペーンをはっているが、いささか理解に苦しみます。
 会見内容をよくよく見ると、律することのできない技術は対処ができない、そのため、将来的には脱原発という内容で、明日から脱原発しようという会見ではないと思ったが、私の理解不足でしょうか。
 将来的な脱原発、もっと正確に言えば、100万kwを越えるような規模の巨大原発システムへの電力依存からの脱却は、今回の大震災で我々が思い知らされた、日本列島が世界的に特異な地質構造の上に成立しており、世界最大級の自然災害が潜在的に起こる可能性を常に有していることを考えれば、菅首相のみならず、誰でも自然に思うべき話だと思います。
 また、福島の罪のない人々にこれだけの災禍を与え、場所によっては生涯住むことができない状態にしてしまった罪業は二度と繰り返してはならない罪業であり、巨大原発の是非を語る際には、その原点を決して忘れてはならないと思います。
 反脱原発キャンペーンのなかで主張されるのは、原発がないと電力不足、コスト的に自然エネルギーは成立しない、企業・産業が日本に立地できない、CO2減少につながらない、といったことが主な内容です。
 確かに、今現時点で、原発の再稼働や継続を認めない、ということは明らかに電力不足であり、また、節電を数年続けることは産業基盤にとって致命的だ、ということは、そのとおりだと思います。さらに、菅首相が今夏や今冬が節電で何とかなる、と発言したことは見識がない人だなと思ったところです。
当面は、年式の旧い原発や活断層直上といった立地条件の悪い原発は徐々に稼働停止しながら、比較的新しい原発や立地条件の適切な原発は稼働させ、経済や社会にとって必要不可欠なレベルの電力を過不足ない状態にすることは適切な対応だとは思います。
 しかしながら、巨大原発を「律することができる技術」と言ってきた自信はもろくも崩れ去ったことは事実ですし、「律することのできない技術」であったことも将来的に打ち破れない真実だと思います。とすれば、巨大原発に依存する原発発電依存からは脱却していく方向は、将来的に子孫を住まわせ、発展させるという意識をもっていれば至極当然なことだと思います。
もちろん、原子力利用を律することのできる範囲で利活用していくことは重要だと思いますし、使わない理由はないと思います。この「律することのできる範囲」を厳しく、かつ、正確に特定し、その範囲を超える誘惑に負けることなく、自ら律する姿勢を忘れないことの原点を忘れないことが重要なのです。巨大原発はいつのまにか、この原点を見ないようにしていたのかも知れません。
地産地消に効率的な小型地下埋没型原発、自己完結型冷却システム等、この方針に沿った、新たな原子力利用に関する研究開発、技術開発や人材育成は可能となるのではないでしょうか。
 また、一方で、脱原発の方向は、再生エネルギーの一層の利活用や炭素エネルギーの一層の脱CO2を促進することが大前提ですが、省エネ技術は多少行き詰っているのかな、というのが私の印象です。行き詰まりは既存技術の延長上ではなかなか打破できないのが、これまでの技術の歴史です。
既存技術の知見・知識は基盤や基礎にするものの、全く新しい発想の、それこそLED電球1個の電力で冷蔵システムを動かす、スパコンを動かすといった、とんでもない目標をかかげ、物理法則の限界に挑むような数段ステップアップする技術開発を行うことが不可欠かと思います。
その技術開発をもとに、世界初や世界を圧倒的に凌駕する技術や製品を産み出し、新しい産業を興していくんだという気概をもつことは、それだけの技術力と人的潜在性を持つ日本の今後進むべき道ではないでしょうか。ユニクロの柳井さんが主張されている(表現は正確ではありませんが)ように、恐れず進む、失敗はいとわず、それを活かす、保身はしないことがすごく大事なことです。  
ですが、菅首相は翌日でしたか、保身でしょうか、個人的見解ですと発言しました。一国の首相の記者会見発言に個人的見解はないのではないでしょうか。それほど首相の発言は軽いものでしょうか。言ったのですから、反対する閣僚を罷免するくらいの気概と迫力を持てといいたいです。FIFA女子サッカーWCで優勝したチームに会ってにこにこするのもいいですが、そうではなく、彼女らの精神力と執念と迫力を学び、すぐに首相としての指揮権を発揮することが大事だと思います。
余談ですが、石原都知事が「何故、銀座パレードをしないんだ。」と吠えたそうですが、「そのとおり。」と喝采ですね。サッカー協会も・・・・ですね。
[ 2011/07/22 13:03 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

地方分権とエネルギー分権

 地方分権の話ではよく財源(税収)の地方への移管がないと分権にならないという主張がなされています。財政運営は自立した主権の最たるものですから、至極当然の論理だと思います。
 しかしながら、財政運営に大きな影響を与える産業や生活を動かす基盤となるエネルギーについて分権を主張する地方公共団体がほとんどないのは理解に苦しみます。
 数社の民間企業に地方公共団体の運営だけではなく、産業、住民の生殺与奪権を握られている(いくら電気事業法で供給の義務化がなされていても)ことに危機感はないのだろうか。また、供給の義務化がなされていても、今回の原発事故等に代表される供給能力の喪失といった事態はもはや「ない」とは言い切れない状況に当然気づいていると思われるが、それでも危惧はいだかないのであろうか、と思います。
 エネルギーの確保は、産業立地、人口拡大という地方公共団体にとって根幹となる業務の遂行に欠かせないものであることは明らかであり、地方分権により自立をする、ということを実現性のあるものとするためには、財政移管と同時に、エネルギー分権に真摯に取り組む必要があるのではないかと思います。
 とはいえ、現実的には、明治以来の中央集権体制の下、特に、電力という産業・生活に不可欠で大きな影響を与える、エネルギーについては、発電・送電一体の強大な基盤が既に全国展開されており、コスト面や人材・運営面で入り込むすきがないくらいの状況であることは事実です。
 したがって、脱原発のような急激な動きではなく、気象予報のようなメッシュによる需給バランスエリアの設定が可能なシステム、このシステムは各地方、地方の地形、気候、産業等の特性に則して異なる手段、地下埋設型の小型原発、ガスタービン、バイオガス発電、風力発電、波力発電、太陽光発電といった多様な手段を単独で、あるいは、組み合わせて構築していくものと考えられますが、のモデル設計、実証プラント、実用化という段階を早期にプランニングし、発電・送電の分離を含めたシステムの全国的調整を行いつつ進め、コストバランスの一定範囲のコスト高の容認を念頭にシステム形成を行い、メッシュ毎に需給サイクルを確立する、というエネルギー分権を形作ることが良いと思います。その結果として、ダメージコントロールに限界のある巨大な原発の将来的な廃炉があるのではないかと思います。

[ 2011/06/27 21:51 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

スパコン、7年振り、演算回数世界一奪回

 その国の情報技術基盤の強さを表すのがスパコンだと言われます。そのスパコンの強さの指標として使われるのが、演算回数です。それが今回世界一の演算回数指標を奪還した、それも大幅な差でというのが、ニュースの主旨だったかと思います。
 演算回数指標の高さは、確かに巨大な規模のシミュレーション、例えば、今回の震災ではからずも明らかになった地球の地殻変動の巨大なダイナミックさが全く(とは言い過ぎかも知れないが、「ほとんど」は言い過ぎでないと思います。)人類は把握できていないことを少しでも克服するため、大量の諸元情報を入力し、複雑な演算式を迅速に解き、その結果をシミュレーションとして生み出す、という取り組みには不可欠であり、指標の高さが直接効くこともあり、今回のことは大きな成果だと思いますし、技術力の高さと確かさに感服する次第です。
 ただし、「世界一」ということを主張しすぎるのは良くないと思います。やるからには世界一を目指すのは当たり前ですが、世界一は必ず破られるのです。そして、破られた瞬間にその価値は全くなくなるのです。せっかく8000ペタクラスを出したのですから、その演算能力を活かす、テーマ設定、それも研究だけではなく、防災、国土計画、産業振興計画等にも直結するテーマ設定を早く検討・決定し、諸元情報の特定、情報の入手・品質管理体制、演算結果の展開の体制、応用、適用(場合によっては法制上の制度設計にも)等について取り組む仕組みを構築していくことに力を注いでいただきたい。地球シミュレータのケースは、研究に特化しすぎたため、この取り組みが不十分であったことは、いなめないと思います。良いマシンを手に入れたのですから、最大限活用すべきです。研究だけに利用するのは、ものすごくもったいないです。
 ところで、「世界一」と「世界初」、どちらを目指すべきだと思いますか?
これは私の私見ですが、目指すのは「世界初」、特に、研究や研究開発は絶対そうあるべきだと思います、製品もそうかも知れません。なぜならば、「世界初」は「歴史」なのに対し、「世界一」は「経験・体験」だと思うからです。経験・体験はその場その場で乗り越えていく対象で、すぎ去れば思い出とはなりますが、足跡には残りません。歴史は思い出ではなく、足跡としてしっかりと残ります。ノーベル賞も世界一を対象には授賞していません。足跡である世界初を対象に授賞しています。「はやぶさ」が価値あるのは、この「世界初」を大幅なステップアップが必要となろうがしゃにむに目指したことにあると私は確信しています。

[ 2011/06/21 22:00 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

日本学術会議提言の腑に落ちないこと

日本学術会議の「東日本大震災被災地域の復興に向けて-復興の目標と七つの原則-」

 日本学術会議は、東日本大震災に関する政府の復興会議での構想取りまとめが進展しているのを受けてなのか、危機感をもったのかは不明ですが、題名のような提言を6/10に発表した。
 この提言そのものは、立派な内容の提言と思うし、共感できる部分はたくさんあります。ここ数十年の中で、科学がはじめて、野依先生のいう、「社会の中の社会のための科学」という視点が強くではじめていると思われますし、科学者の方の見識に尊敬の念をきんじえません。
しかし、何かしら腑に落ちません。今回の震災・津波被災、原発事故については、我々国民自身の油断、無知があったのは確かですが、科学者が反省すべき点はなかったのでしょうか。個々の科学者の中には反省、悔いを述べていらっしゃる方はいますが、科学者の団体としては、日本原子力学会、地震学会さえ、対策と情報提供への努力は述べていますが、反省、悔いは何も述べていません。学会等の総元締めである、日本学術会議こそ、襟を正して、先ず、反省と悔いを真摯に述べてから、提言をすべきではないでしょうか。
 今回の震災、特に原発事故については、科学に対する失望感と不信感が国民に広まったのは確かなのです。先ずは、真摯に反省、悔いを誠実に述べてこそ、これらの想いは払しょくできるのではないでしょうか。
[ 2011/06/13 22:51 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

研究費の議論、何となく違和感

 今日は久しぶりに学術研究に関する研究費の議論を文科省の審議会で聞いた。研究費の確保、その重点的なテーマといった議題のほかに、経理的な執行管理、不正防止といった課題が示された。

 今回は、時間もおしたこともあり、研究費の確保、その重点的なテーマ、優先的な課題・事項といった面で議論が進められ、そういう点では面白い議論でした。
 
 次回は、さらにこの議論を深堀りするとともに、執行管理、不正防止といった課題について議論するということでした。しかし、そのアナウンスを聞いて、おやっと思いました。

 議論の土俵に上がっているのが、サプライヤーの文科省の方、プレイヤーの代表の先生方、しかいないのに、どうしてマネジメントという違う領域の話を深く議論できるのだろうか、とふと疑問に思いました。サプライヤーの立場に長くいた私はそこに今まで気がつきませんでした。

 マネジャの方が土俵に上がって議論することが必要なのですが、委員構成等からみると入っているとは、私のこれまでの経験からしてないと思います。これからでも遅くないので、そういう方、別に現場の方ではなくても良いので、経理執行とマネジメントに詳しい方を土俵に上がらせた上で、議論すべきではないでしょうか。そうすることで、実りある議論ができると思います。

[ 2011/06/02 22:06 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)

今後の原発のあり方

 東京電力福島第一原発の1号機の圧力容器破損のデータは、やはりな、という感想を持った人が多いのではないでしょうか。毎時6トンというのは毎日で144トン、1週間で約1000トンの注水量であり、巨大な容器の容量と蒸発を考慮しても、そもそも水位に疑問を私も持っていました。

 ですが、どうも思うのですが、全体のデータを全部本当に体系的に整理し公表しない、あるいは、報道も全くその努力をしていないように思え、全体像がなかなかつかめません。もっと、国民を信頼してあからさまに公表・整理してはどうでしょうか。

 それはそれとして、今回の原発事故を改めて思いますに、人間が制御しきれない巨大システムで暴走する可能性のあるものはまずい、作るべきではない、と感じました。電源喪失があり冷却系がきちんと動かなかったためという事実はあるものの、電源喪失というのは100%ないようにする、ということ自体不可能な話、自然の巨大さは人間の持つ想像の域を遥かに超えているのですから、至極当然と思います。巨大原発の事故は制御できないしろものと位置付ける必要があると思います。

 ですが、原発は全く利用しないのか、ということは思いません。人間が制御可能な範囲で事故が収まるシステムであれば原発は極めて有効な手段だと思います。コンピュータの世界の暴走というのは、まさにデータが破壊され消失する、という事態ですが、グリッドという新しい小型・分散のフレームを構築して対処し、あるいは、しつつあると思います。

 原発については、この小型・分散、例えば、20kmとか50kmのメッシュであれば、相当小型のもので十分まかなえると思いますので、現在、東芝等で開発されつつある小型よりさらに小型の通常の管理や万一の事故の制御が容易なシステムで電力供給が可能になると思います。

 システム自体は小型になるため、工場での一体生産、しかも点検を必要とする接合部の最小化が可能となり、生産・設置・運営を含めても、量的効果や点検費用のコスト軽減は十分図れるのではないかと思います。こうなれば、巨大な集約的な企業は必須ではなくなると思います。送電と発電を区分するという市場形成のきっかけにもつながっていくのではないでしょうか。
[ 2011/05/13 21:21 ] 政治・社会・科学技術 | TB(0) | CM(0)