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東日本大震災 検視医の証言の記事を見て想う、幅広い証言の記録保存

ダイアモンドオンラインの記事で関心を持った記事があった。吉田典史さんというジャーナリストの「大震災で「生と死」をみつめて」というテーマの8月23日版で、大震災で検視にあたった高木医師へのインタビューをもとにしたものであった。
 その中で関心を引いたのが、検視をされたご遺体のご様子と死因の推定に関する医師の見解だった。引用させていただくと、
「 1つは、胸部圧迫による死亡。圧迫を与えたものとして考えられ得るのは、たとえば船や車、家、がれき、さらに押し寄せる波の水圧など。これらが胸や腹部に時速数十キロのスピードで当たり、呼吸ができなくなった可能性がある。
 2つめは、一気に大量の水を飲み込むことでの窒息。3つめは、いわゆる凍死。当日、津波に襲われた後、冷たい波の中で木などにつかまり救援を待ったが、寒さで体温が下がり、息を引き取った例がこれに該当する。
 4つめは外圧によるもの、たとえばがれきが頭に当たり、脳挫傷などになり死亡したことが考えられる。
 ここで、私は尋ねた。震災直後から新聞で「消防団員が避難を呼びかけている最中、ハンドマイクを握ったまま、亡くなった」と報じられていたことについてだ。本当にこのようなことが起きるのかを知りたかった。高木氏はこう答えた。
「推測ではあるが、2つの理由が考えられる。1つは、即死。プールなどでの溺死ならば手足を動かし、もがくから、手に持っているものも放す。今回 は、堤防を破壊するほどの水圧で押し寄せてくる津波だった。あの波が直撃すると、心臓や肺など循環器に障害が起きて即死になることは想像できる」
「もう1つの理由は、即時死後硬直(そくじしごこうちょく)。死後に体が硬くなる、いわゆる死後硬直は息を引き取った後、2~3時間に始まる。今 回は非常に強い、精神的なストレスにより脳に障害が起き、死の瞬間に硬直した可能性がある。それにより、たとえばハンドマイクを握ったままの姿で亡くなったとも考えられる」 」
という部分である。

 特に、一つ目が関心を引いた。
一つ目については、巨大な津波は直接襲われた瞬間に即死させられる可能性が高いということらしい。茨城等外洋にあいている海岸では波高の高い波がよせ、泳いでいる時に巻き込まれることがあり、体が回転し底にたたきつけられることは経験上あるが、瞬時に呼吸停止に陥るような循環器系への強力な圧迫という水圧の強さと衝撃力は想像できない。襲われた瞬間に対応できることには何があるのだろうか。無防備な状態でも、海岸の波は一定程度潜れば圧力を回避できるのだが、塊としておしてくる津波の場合は「潜る」という手段も回避にはつながらないのだろうか。瞬時に生命を奪われなけらば生き残るための手段は取れるのかもしれないので、この状態の検証と回避方法も有無は必要と思うし、証言を含めて記録として保存し、有効な回避方法があれば公開してくことが大事だと思う。

 また、次の部分も関心を引いた。引用させていただく。

「 「宮城県北東部にある牡鹿半島(おじかはんとう)よりも北に位置する気仙沼市や南三陸町、女川町などでは、遺体の傷は比較的少なかった。このあたりはリアス式海岸ということもあり、津波の波は高く、その水圧で亡くなった人が多いように思えた」
「一方で、南にある地域では、津波が流れてくる流速で亡くなったと思える人が多かった。田園地帯が多く、波をさえぎるものがなかったために、一段と加速したのではないか。足が切れて無かったり、頭が割れていたり、胸にがれきが刺さったままのものがあった」 」
という部分。

 これは、津波にどう対応するのか、についての重要な示唆があると思われる。北部に関する証言からは、これはもう標高の高い地点に逃げることを最優先にする、警報のあった時点で考える余地なく逃げる、ということの徹底しかないということだと思いますし、南部に関する証言からは、流速を遅くするための地形を活かした街づくりあるいは人工的流路の意図的配置をする等の対処をすることで、回避若しくは避難時間の猶予をかせぎ、仮に襲われても流速を可能な限り遅くすることで、二次的被害と言ってもいい人工物による傷害の程度を低くできる可能性がある、ということが読み取れるのではないでしょうか。

 このような証言一つ一つ大事に蓄積し、同じ言葉で体系的にまとめ公表していけば、皆が理解し、子子孫孫あるいは世界中に伝えていくことができるのではないでしょうか。復興構想にある「震災の記録・保存」という計画が実現されるのであれば、学術的な論点のものだけではなく、このような証言の一つ一つ丁寧に取り上げ、積み上げていく作業をしてもらいたい。その作業をした後で、是非、学術論文的な整理ではなく、国民が同じように理解・解釈できるように、「同じ言葉で」で公開をしていってもらいたい。ここでいう「同じ言葉」というのは、専門用語や数式や見解の羅列、あらゆる単位のごちゃごちゃとした使用をしないという意味です。


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[ 2011/08/24 21:18 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

今夏の節電に想う

今夏の節電に想う

 今夏は福島第一原発事故や震災に伴う東京電力の最大供給電力の減少から、一般家庭にも節電要請がされている。

 夏の節電で一番目に浮かぶのがエアコン使用の抑制でしょうか。例年ですと、全力使用ですもんね、夏のエアコンは。(我が家のリビングは大型機で広い部屋を冷却しているのと部屋の構造上の気流の流路の悪さで結構効率が悪い。)

 試練ですが、震災を契機とした生活の変換を成し遂げるためにも、最大限の使用抑制をはかっていこうと決断しています(一番エアコン使用を望むのが暑がりの私なので、結構な決断です。)。

 ということで、今夏は一切エアコンを運転していません。夜も少し寝苦しいですが、去年と違い、多摩川からの風が比較的あり、ベランダのグリーンカーテンらしきもの、とベランダへの水まきを数度実施すると扇風機での気流の循環で何とかなります。

 思えば、自分たちの小さい頃はエアコンなんて当然ありませんし、唯一扇風機くらいでしょうか、それも音だけ大きな効率の悪い、そこに立ち返ってみると、それが当たり前の生活があったのですよね。熱中症も日陰と給水(ミネラル分も、今はスポーツドリンクがありますから便利です。)さえちゃんと確保できれば、エアコンなしでも乗り切ることが可能ですもんね。もちろん、これらを確保した上で十分休息することが大事です。

 「何とかなる」とエネルギー感は相当変わるでしょうね。先ずは、今年の夏を乗り切ってみて、考えたいと思います。


[ 2011/07/12 05:59 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

今回の震災の教訓を将来の子孫に対して残すために研究は何をなすべきか

 今回の震災は、「想定外」が頻発されるものの、歴史上に散見する文献資料や地質・地形上の痕跡は決して想定外の事象でなかったことが、震災後次々に明らかにされ、個々の研究者や個々の研究領域の反省や悔いの言葉も発信されている。今回の震災は震災そのものの甚大な、かつ、未曾有の被害だけではなく、原発事故という原爆被害者たる日本が世界に対して加害者になる大きな被災をも引き起こしてしまった。被災地の復旧、少なくとも憲法の保障する人としての権利である生活が可能となるレベルは早急に進めるべきであり、復興は大きなダメージを受けた被災地を元に戻すという発想ではなく、災害に強い、21世紀の新しい先駆者、といったキーワードに代表される新興に近い形での活動として当然構築されるべきであろう。
 一方、震災や原発事故の事象や状態について理解を十分に進めることは、国等の行政機関ばかりでなく、我々国民一般においても重要なことであり、十分理解した上で、公・民の両面において子孫に教訓として残していくべきであることは大切なことである。
今回の震災や原発事故後、行政、報道ばかりでなく、様々な領域の研究者が関わり、有為な情報が発信されており、個々の事象や状態についての理解は大変進み、発信される情報の個々の意味は十分認識できる状況にはなっている。
 しかしながら、個々の情報は豊富であるが、全体のストーリーを示しての情報整理や情報発信がなされている取り組みが少なく。我々一般国民は、体系的に、連続的に理解することが大変困難な状況に陥っており、将来にも必ず起こると考えるべき、同じ規模の震災や関連する大規模な事故への適正な備え、対応について、自ら判断し、方向性を見出すことができない状況にあるのではないかと危惧している。これでは、現実に被災している我々以上に、将来に必ず被災する子孫は皆目見当がつかない状態に陥ることは明らかである。
 この理由としては、研究者は学会や雑誌で個々の関心と興味で情報を発信し、国は各々の機関の所掌に基づいて情報を発信し、報道は毎日起こる事象・事件を報道するというスタイルに基づきつながりのない情報を発信していること、もう一つは各個が共通性のない固有の言葉で情報を発信していることがほとんどであるからである。報道機関によっては、一部についてはシリーズ化している情報発信はあるものの、全体ストーリーを体系的に構築するものにはなっていないことが、全体像と個々の情報との関係性を我々国民一般が理解・認識できない状態に陥っていることにつながっている。
 では、そのジレンマを突破するためにはどうすればよいか、膨大で、かつ、多様な個々の情報を体系的に整理・分析し、一種の歴史書的に統一した言葉で取りまとめ、情報を発信する、それも現代であるから、ビジュアル技術を駆使した「メディア媒体」として発信することではないだろうか。日本書紀は、舎人親王の下、同じ言葉でまとめられた、日本の体系的な歴史書であり、日本の古代の歴史を知るに大変理解しやすい、全体像が認識できる優れた情報発信である。今こそ、現代の「舎人親王」を任命し、この大海をわたるような大事業をなすべきである(ただし、これは個人を任命するのではなく、「集団」に任務を負わせることである。舎人親王時代も同じ言葉を使う集団が取りまとめたものであることに相違ない。)。
 この現代の集団としての任務を負うのは、知識・知見の基盤の強さ、活動の自由度、多様性の広さといった条件をクリア可能な「研究」の集団がふさわしいと考える。ただし、これは個々の論文を記述する学術研究一般の研究ではないことを十分に理解する集団でなければならない、また、その集団が立脚する大学等の組織、学会等の学術コミュニティも同様であり、このことでこの集団の価値や立場を下げることはあってはならない。個々の論文は関係する学問領域の歴史に残ることはあっても、社会の歴史には残らないが、この集団のなす仕事は社会の歴史に残る話である。
今回の震災、原発事故に際して、無力感と懺悔を感じている若手の研究者は、日本学術会議といった仲間内で発言するだけでなく、この価値に気付き、積極的に社会に対して、このようなことを行っていくから社会は理解し、支援しろと堂々と主張していくべきである。

具体的な提案はフェースブックでしています。


[ 2011/06/29 07:45 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

エネルギーの地方分権 地産地消

エネルギーの地方分権、地産地消

 今回の原発事故と計画停電騒ぎを経験し、つくづく思いしったというか、思いを強くしたのは、エネルギーの供給と消費の分散化が必要だなあ、という思いです。
 巨大なエネルギー、特に電力のような日本社会にとって基幹エネルギーについて、少数の大規模な発電所と複雑にめぐらされた送電ネットワークに依存することによって、効率的で良かったな、経済性も高くて、かつ、安心だなあ、という錯覚をしていたわけですが、今回の原発事故と計画停電騒ぎは、そうではなく危機感をもつべき事態であったことを本当に気付かされました。
 先ず、巨大なシステム、特に、核分裂の巨大なシステムは、現時点の人間、技術ではいざ何かあった時に完全には抑え込むことが不可能なものだとはっきり我々は認識すべきだし、それを求めてはいけない、その理由が経済発展のためだとか、という理由であったとしても、求めてはいけないものだと思うべきだと考えました。
 原発も全てが駄目だとは思えません。あれだけのエネルギー効率の良いもの、自然の摂理(核分裂)を利用したもの、を全く利用しないということはありえないと私は思います。ですが、完全にダメージコントロールができないものは利用すべきではありません。原発も巨大システムは利用すべきでないと私は考えを根本から変えました。小型でダメージコントロールが効く、例えば、東京においてもダメージコントロールが可能なほど小型で、ダメージコントロールを喪失可能性のある媒体が担わない、というシステムであることが、原発を将来にわたって人類が利用していくためには必要なことだと思い、巨大システムの拒絶、小型分散システム化への期待と促進に考えを変えました。
 もう一つは、計画停電騒ぎで感じた一蓮托生的でぜい弱なエネルギー供給・消費体制への危機感でした。この体制は、中央集権的な巨大システムをコアとして供給・消費のネットワークを張り巡らすシステムですが、コア自体がこのネットワークのコントロールができない状態に陥っているのではないかと思うような混乱をうみだした本質的な問題でした。
 コアコントロールの巨大なネットワークは、現在のような大規模なエネルギー供給・消費体制においては、平常時は問題が顕在化しないものの、有事にはそのネットワークの持つ本誌的な問題が顕在化し、生活・経済・文化の全てに大きな影響を与える混乱を生み出すことが明らかになったと思います。
 テレビでどなたかが主張しておられたと思いますが、エネルギー供給の分散化という概念が必要になったと思います。私は今一歩踏み出して、食料の地産地消という概念を取り入れ、ネットワークをシンプルに小規模にし、そのシンプルで小規模なサイクルの中に、小規模のエネルギー供給生産体を、これが小型原発でも、ガスタービン、バイオガスプラントでも良いと思いますが、設置し、このサイクル、ネットワークのメッシュの中で生産・供給・消費を回すというシステムを構築していくべきではないかと思いました。

[ 2011/06/13 22:55 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

復興と研究

 今日は、少し真面目にブログを書きたい。政治の動きははなはだ遅いが研究も実は復旧・復興に大きな貢献はできていない。ですが、今後、復興には研究も大きな寄与が必要だと思います。休み時間等を使って一気に下記のような「想い」を書き下ろしました。校正はしていませんので、論理展開に矛盾やら整理できていない面はあるかと思いますが、気持ちは十分でているのではないかと思います。

研究と復興

 東北地方太平洋側は、中央である関東にいるとわからないが、南北に長く気候の差が激しい、また、地形は、平野部が少なく、急峻というほどでもないが、山地からすぐに海岸沿岸部となり、湾岸もリアス式に代表される岩礁沿岸です。
そのような地形、気候に適合するように、漁業が発達し、自然の良港を活かした漁港、貿易港が産業基盤となり、山地地形による良質な水資源と冷涼な気候に合致する部品生産産業が立地しています。これらの産業基盤は内陸の県庁所在地からの交通路に沿うというよりは、沿岸部に張り付くように沿岸交通路に沿って発展しています。交通路としては、東西よりは南北に重点が置かれてきていました。
 今回の震災と津波で、これらの全てが壊滅的に破壊されてしまいました。破壊の程度も数年ベースの破壊ではなく、将来数十年に渡る生活・産業基盤を完全に破壊されたレベル、生活圏と産業構造を全く新たに構築せざるを得ない、文化さえ変えなくてはならないほどの破壊のレベルと思います。現在は、仮復旧を進めていますが、復興は数十年のタームで、数百年レベルを見据えての設計・実施が不可欠だと思いますし、もう前例はないという世界ではなくなりましたので、悲劇を二度と繰り返さない、このような大規模な自然災害にも耐えうる復興にする必要があると思います。

 このような復興をなしとげねばならないことに対して、研究はどのように寄与していくのか、いけるのか、今までの延長的な発想では邪魔にはなっても牽引者にはなれないと思います。生活・文化・産業の基盤に直接結び付く現実性とつながりを持つ、その上で、新しい世界を構築するリード役になるということは並大抵の発想ではできません。すなわち、一般的なアカデミア的な発想ではなく、生活に密着し、地域の特徴を活かせる、雇用環境を大規模に生じさせるとともに、世界に向けて求心力のある新しい地域を構築するプログラム、その上で、災害に耐えうるインフラとともに存在する象徴的インフラを形成するプロジェクトを構想していくことが必要であると思います。

 プログラムやプロジェクトを構想するにあたっては、私見ですが、次のような観点が必要かと思います。
1)災害時対応に不可欠な交通・通信ラインを南北沿岸ラインから南北沿岸内陸街道ラインに変化させることに貢献できる、また、南北沿岸ラインについても、冗長性を持たせられるインフラ構築と協調できる。
2)地域に根付いている活動、運動、文化に密着する、例えば、「森は海の恋人運動」との連動とその発展への貢献ができる。
3)地域の自然、風土を壊さず、その特徴を活かして求心力のある世界に発信できるエリアを構築できる。豊かで隠れた東北の文化資産や優れた文芸家を生み出した精神資産を基盤とした科学・文化都市やタウン・ビレッジの構築の中心となることができる。

 こんなお題目だけ言っていても具体性がないと意見にもなりもしないと思いますので、思いつくまま、具体的な考えを書いてみたいと思います。

 何故、1)のような観点が必要かと書いたのか、今回の震災が巨大になった要因は何と言っても津波であり、この津波はあらゆる人工物による防御は完全には出来ないという事実を思い知らされたことが、先ず、あります。この津波の被災を最低限に抑え、生活・産業基盤の壊滅を避けていくためには、南北沿岸ライン沿いの生活・産業基盤を南北沿岸内陸街道ライン沿いをメインとする構造に作り替えていくことが必要だと思います。また、南北沿岸ラインも従来の南北沿岸ラインはサブラインとしてこの南北沿岸内陸街道は一定以上の標高、少なくとも平均標高が50m以上にある地域を結ぶラインを通していくことが必要だと思います。この標高エリアに沿岸部のメインのタウン、生活・産業基盤のあるタウンを構築し、そのエリア同士を結ぶライン、おそらくつなぐ部分はトンネル構造に地形上なるとは思いますが、を構築し、そこから沿岸に近い域はサブの生活・産業地域として、例えば、漁業で言えば見張り小屋的な駐在拠点(生活拠点ではない漁期の間の滞在拠点)、また、ほとんどは養殖エリアとして活用する、といった業務エリアとすることによって、学校・病院・行政・産業は全てメインタウンにおくという設計も可能となると思います・メインタウンには、産業として、内陸養殖、エネルギーベース(海岸からはパイプで輸送)、水産加工場も置き、漁期でない時期でも生活設計が出来、いわゆる「オカ」に漁業者がいることにもモチベーションが生まれると思います。
 内陸養殖では、塩水処理の問題が生じるかと思いますが、塩水の使い方としては、例えば、パーセントを薄めた塩水でのトマト水耕栽培など九州地方で産業化している他産業への転用も可能ですので、十分対応は可能だろうと思いますし、養殖で結果として出てくる有機成分も多様な領域に転用可能かとも思います。これらの内陸養殖の大量の水の問題も、例えば、トンネルの破砕帯等の湧水の転用によって可能だと思いますので、トンネルインフラとの協調により、そのトンネル道路構造物の下部に養殖水路を作るということも考えられます。大量の重い水により路盤も安定するとも思われますし、緊急の際の放水等にも転用可能と思います(下部への防水はしっかりしとかないと戻り水による汚染が問題となってしまうとは思いますが)。この南北沿岸内陸街道ラインと活用・協調ができる産業提案、生活転換提案に貢献できる研究が求められると思うため、この観点をあげたところです。
 もう一つ考えたのは、平野部の津波防止との協調です。今回の仙台平野での津波被害は大変なものでした。平野は傾斜が少ないため底から持ちあがる津波は風による波と違いどんどん押し寄せ数kmまで内陸に侵入し家屋等を破壊し、人命を奪いました。内陸に侵入した津波は盛り土で高くなっている有料道路で止まっていました。このため、今後、数段の堤の構築が有効なのではないかと検討されているようです。この堤は相当の高さを要し、数十kmにわたるのではないかと思います。この堤の強度は相当程度強くする必要がありますが、単純な堤では存在そのものだけで平常時は生産的な存在ではありません。そこに研究としては何か考えられないだろうか、ということですが、例えば、今までは地下トンネルにしていた加速器を地上の堤の中に設置する、すなわち、数十kmにわたる堤を利用した直線加速器を作るというアイディアです。数十kmにわたる加速器ですので、仙台平野が国際的な一大科学拠点エリアになってしまいます。地上にあるのでメンテナンスの費用も比較的低くすることができますし、建設費はもともとの堤との一体ですから、協調により低く抑えることができます(トンネル工事もない分、地下構造物、浸水対策等の費用が浮きます。)。

 次に2)の観点です。地域を将来にわたって持続的に復興させていくためには、中央からの御仕着せ発想による復興は根付くとはとても思えません。一つ一つヒアリングしていきながら復興にかかる計画を作っていくことが理想的かも知れませんが、それでは時間がかかり過ぎます。理想に近づき、時間を限りなく短縮するためには、地域に根付いている、新しい発想による活動、運動、文化を基盤として活用していくことが肝心だと思います。「海の恋人運動」は元々は「牡蠣の森運動」から発展したものですが、とかく断絶しがちな内陸の生活・産業と沿岸の生活・産業とを一貫したストーリーで結びつけたとても素晴らしい活動です。このエリアの復興には、このスタイル(内陸と沿岸の一貫した結びつき)がとても重要だと思います。研究には、この結びつきをリードするテーマや活動を発見し、実践的に見せていただきたいと思います。これは、ある意味地道な活動になるかも知れませんが、長く根付くためには、この地道さはとても大事だと思います。

最後に、3)の観点です。これまでの日本の復興、明治維新、敗戦後の復興と自然と風土を壊し、全く連結性のない都市、風景、文化を作ってきてしまいましたが、今回の新しい復興は、自然、風土を活かし、それを更に一歩進める、そのこと自体をシンボルとする復興でなくては、再度同様な事態をまねくことが想像され、賛成できません。世界に発信されていない東北エリアの自然、風土を基盤とする21世紀の新しい都市、タウン、ビレッジ、エリアとして構築する復興でありたいと思います。再生エネルギーの実証エリアにするとか、エコロジーに徹した街づくり、といった構想がありますが、そういう単純なくくりではなく、エネルギーの再生、という観点からは、傾斜地の農業地帯という特色を活かし農業用水の水利を利用した小型揚水発電(水車の発想を活かせばよい)や暖房エネルギーの発電コジェネレータへの両用といった特色のある構築の仕方があると思います。エコロジーに徹した、ということであれば、大規模な送電・発電スタイルではなく、メッシュ型の需給スタイルをエネルギーに取り入れていく発想が必要だと思います。このような発想の提案と実施方策の実証に研究は貢献できる道があると思います。

 復興は長いではなく、永い道のりですが、継続的につきあいができるのは研究の特徴だと思いますので、復興と研究、短期的な取り組みに集中するのではなく、あせらずに、長期的なビジョンを先ず描き、そのビジョンにそくして、短期的手法、中期的方策及び長期的な方針を決め、決めたら即座に実施に移していくことが復興の木槌を地元の方に実感させるのに必要なことかと思います。

 復興に対する取り組みとともに、研究が将来に向けて行わなくてはならない事柄ですが、今回の震災の原因となった地震、津波の実態、それによる被災、被災への復旧等への対応、情報公開等の状況、支援の状況及び支援管理において生じた問題、といった様々な事象について、メディア、といっても報道メディアではなく、ITメディアとともに、きちんと整理と分析に総合的に取り組み、体系的にまとめ、国民に永久的な辞典のようなメディアコンテンツとして提供することです。この提供も単なる専門用語の固まりではなく、ビジュアル化、統計数値処理化を行った上で提供することが重要です。ここは是非ともITメディアに積極的にトライしていただきたい。このことは、研究とITメディアの将来の子孫に対する使命だということを強調しておきたい。





[ 2011/06/10 21:28 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

原発事故IAEA報告と事故調査委員会のあり方

 今日の新聞各紙にIAEAに対する政府からの福島第一原発事故に関する報告書が公表された旨の記事があり、経済産業省のHPに関係資料が掲載されていたので、ダウンロードし読んでみた。
 
 この報告書について、まだ概要を読んだだけではあるが、構成は、事実関係、それに対する対応策、教訓という3部構成のようです。内容についても、技術的側面だけに限っているとしていました。
 
 事実関係としては、○地震は加速度数値で設計基準をオーバーしていたが、現時点で地震による損壊は確認できていない、○津波は設計想定を大幅に超え、電源系損壊による冷却系機能停止、としている。
 
 対応策についてはこれまで説明されてきたことをまとめている。
 
 教訓としては、5つのグループに区分して示している。一つは、シビアアクシデントの防止、「津波襲来対策」が代表例、二つ目は、シビアアクシデント対応、代表例は「水素爆発」、三つ目は、原子力災害対応強化、代表例は「環境モニタリング」、「予測系機能発揮とコミュニケーション・情報提供」、四つ目は、「規制体制」「人材確保」、五つ目は、「安全文化」というものであった。

 内容的には表現も含めてシンプルで、かつ、正確で、誠実な報告と感じました。
いささか意味不明の事柄が多かった震災後の民主党・政府の報告としては真摯な姿勢がこれまでのものとは段違いに感じました。

 この報告を提出したIAEAが今後どうさばくのかは注目ですが、いずれにしても、低レベル、緊急時とはいえ、意図的に環境中(海)に放射性の汚染物質(水)を流出した事実は加害者、被告たるべき事柄であり、このような誠実な報告をして白洲でのお裁きを丁重に受けるべきであります。

 事故調査も、畑村さんのような学者先生ではなく、少なくとも日本人ではない、国際的な行政・司法の立場にある者(国連からの推薦、IAEAからの推薦でも良いとは思いますが)がプレジデントとなり、調査報告をまとめる体制づくりが必要だったのではないかと思います。



[ 2011/06/08 20:51 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

政治主導を標榜するならば、「言葉遊び」をやめろ

 全く茶番だし、言葉遊びをやって喜び、にやけている。「原子力村」が批判されているが、それ以上に「政治村」はひどすぎる。議員全員辞任すべきだ。 民主党を壊してはならない、自民党に政権をわたさない、といったことを鳩菅会談での合意事項だとしている。そんなことはどうでもよい。 復旧さえできていないのに、いつまでに復旧体勢をとる、復興の基本方針はこうでどんな反対があってもやる、反対するなら真意を問う、くらいの覚悟をしめせ、それは菅首相だけではなく、鳩山さんもそうだし、小沢さんもそうだし、自民党・公明党もそうだ。菅首相をおろそうとしても、その覚悟をしめさず、批判だけしているから、言葉遊びの軽い存在にしかならず、言葉遊びの茶番劇にしてやられるのだと思う。 一度でもいいから、郵政解散の時の小泉元首相のような覚悟と迫力をみせてみろ、両方とも。

 また、菅首相の問題点は、関心が原発事故にしかないのではないか、という点である。昨日の会見でも、一定のめどの例として、冷温停止などと言っていた。原発事故は大変だが、とにかく何でもやれという大きな胆力さえ示せば、技術者が何とかすることだ。少なくとも冷温停止は。そうではないのではないか、政治のめどというのは、方針を出した時でしょう。方針を早く出して、おりるというよりは、どうだ、反対するなら、対案を出せ、という勝負だろうと思う。それがめどだと思う。とにかく、全ての言葉が軽すぎるし、遊びすぎる、気が小さいのではないか、本当は。菅首相には、五木寛之氏の「人間の覚悟」という本を是非読んでほしい。
[ 2011/06/03 06:28 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

被災地に残る建物の上のバスの保存をの主張に反対

 読売新聞に掲載された記事の中に、今回の被災地の石巻市の公民館の屋上にバスが津波で持ち上げられ、そのまま残っており、震災・津波の記憶を残すためにモニュメントとして残そうという提案を宮城大学の教授が行っている、という話があった。

 広島市には原爆ドームが残されているが、これは犯罪行為があったことを世界に示すために残しているものであり、自然災害のモニュメントではそもそも主旨が違うものと思います。

 また、原爆ドームについては、怒りの対象が目に見え、はっきりしているので持って行き場がありますが、自然災害の場合、持って行き場がないことから、自分たちの中に戻ってきてしまうので、そのストレスは負担になると思います。

 モニュメントという生生しいものではなく、例えば、地元の被災地の著名な画家の方に大型の絵として描いていただき保存・展覧する、あるいは、被災者の鎮魂のためのモニュメントが作られると思いますので、その壁や床に画家の方あるいは市民の方に描いてもらい、保存・展覧する、ということが後世に残すとした場合にふさわしいのではないでしょうか。

[ 2011/05/27 04:20 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

「可能性はゼロではない」発言の認識

福島第一原発関係で、海水注入中断の経緯の騒動で、原子力安全委員会の斑目委員長が「可能性はゼロではない」と言ったとされる発言について、記者会見において「再臨界の可能性はゼロではない」という自らの発言に関し、「学者は、可能性が全くない時以外は『ゼロではない』という表現はよく使う」(読売オンライン記事5/25を引用)と言ったとされている。
 
 この方は、御自分が行政組織の長というご認識が全くないのでしょうか。聞かれた時のお立場は、学者ではないでしょう、ご自分の今の立場で問われたのですから、行政官として答えたという認識が全くないことにものすごく腹が立ちますね。

 行政官に見解を聞いた時に、「可能性はゼロではない」と言われたら、受けた側は衝撃的でしょうし、躊躇するのは当たり前だと思います。こういう方を行政組織の長として置いておくことは予断を許さない原発事故を思うと危険極まりない話です。

 国民新党の亀井代表が更迭を求めたと報道があったが、本当にそのとおりだ。緊張感と不安感の交錯した時期であったとは思うので、「可能性はゼロではない」と最悪の事態も踏まえるのは当然としても、行政官なのだから、その後の措置を進言しないと駄目で、その発言も学者が良く使うという逃げをうたないことが大事だと思います。
[ 2011/05/27 04:18 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)

震災後にささやかれる首都機能分散

 震災後、何かと首都機能分散という論が出ている。東京都の石原知事も会見で首都機能分散を言い、例として証券市場の大阪移転、というような話をされていた。

 一方で、橋本大阪知事は、首都機能のうちのある部分を移転するのではなく、首都は東京であり、その東京に何かあった際に代替できる実力を大阪といった府・都市が機能として持つことが大事である、という言い方をあるテレビ番組で主張されていた。

 私が思うには、同床異夢のような気がします。石原知事の主張は、中央集約型のまま、という感じですし、橋本知事の主張は、地方分権型、地方の一種の独立国家的地位に変革する、という意図を言葉の裏に感じさせるものかと思いました。

 大陸プレートが複雑に交錯し、大きな応力がかかり、海溝型から内陸型とあらゆる地震のタイプのデパートで、しかも、巨大な潜在力を持つ活火山を多数有する日本列島においては、私自身もうかつにも思っていなかったが、近代国家の中央集約型運営というのは極めて幸運な時代にしか存在しえない、危ない、ぜい弱な国家運営システムではないかと、今回の大震災後、やっと気がついた気がします。

 今回の巨大地震は、本当に言葉にならない恐怖を日本人に与えましたが、いつかは来るかも知れない、日本に存在する火山カルデラの巨大噴火も覚悟はしないといけない存在だと思います。しかも、巨大なカルデラは北海道、九州に存在します。冨士山もカルデラ噴火ほどではないにしろ、場所柄手ひどい被害を与えるに違いありません。

 そのようなことを踏まえると、私は、首都機能については、石原知事の主張される「一部機能の分散」という形態ではなく、橋本知事の主張される「代替機能」という案がふさわしいのではないかと思います。とにかく、巨大な災害は今回の大震災で改めて思い知らされましたが、一地方・一定の大規模な地域を壊滅的な状態に追い込む、という現実です。仮に、現在の状態で東京近辺なり関東から東海のベルト地帯が巨大災害に襲われ、東京地区が壊滅状態になった場合、日本の国家としての存亡にとって致命的なのは誰も否定できないと思われます。

 日本が今後将来にわたって存在していくためには、代替機能を日本のいくつかの地点に構築、というよりはその地点の拠点都市に実力や自立意識を高めていってもらわないといけないと思いました。地方に軸を中央から移す、地方が中央を経営する、支援する、という形態(これが地方分権なのかはよくわかりませんが)に日本を変えていく必要があると思いました。

[ 2011/05/24 22:03 ] 大震災復興と原発事故 | TB(0) | CM(0)