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-はやぶさ回顧録- 皆さんの知らない回顧

-はやぶさ回顧録- 皆さんの知らない回顧録

 みなさんには、「はやぶさ」という愛称で親しまれていますが、私のような計画段階から携わった者には、「Muses-C」という開発名称に愛着があります。「Muses-C」というのは、Muロケットで打ち上げるSpace Engineering Spacecraft(宇宙工学実験宇宙機)の頭文字を取った「Muses」シリーズの三番目の開発ナンバーというものです。詳しくは、JAXA宇宙科学研究所の「はやぶさ」の紹介欄で見てください。
 小惑星探査機「はやぶさ」とこの頃はほとんどの場面で紹介されていますが、この機はあくまでも工学実験機なので、工学衛星・探査機「はやぶさ」と正確に紹介してほしいですね。
 
 「はやぶさ」計画自体の歴史は、既に川口さん、上杉さんがいろいろな講演やマスコミ取材、本で話をされていますので、横からそっと国の計画になることの後押しをしたり、予算を確保したり、しただけの私が書いてもしょうがないので、どうして国の計画になることを後押ししたのか、予算確保に熱を入れたのか、について、この計画を最初に聞いた時の第一印象を思い出しつつ、書いてみたいと思います。

 記憶をたどりながら、タイムスリップしてみます。

先ず、「はやぶさ」で有名になったイオンエンジンですが、このイオンエンジンという言葉を最初に聞いたのは、「はやぶさ」計画を衛星計画として実施したいという申し出を宇宙科学研究所の担当の方から聞く1年ほど前だったと思います。
ちょうど、阪神淡路大震災の後の景気回復策として大規模な補正予算編成がなされた時期で、宇宙の担当として片端から要望のあった設備をリストアップしていた時でした。電気推進エンジン耐久試験装置(だったかな?)という装置にふと目が行きました。通常、これまで宇宙関係で聞いていた推進エンジンは、固体か液体の化学燃焼で推進力を得るものだったので、「電気推進???」。
 私は素粒子物理学の研究機関にもいたことがあったので、最初は高電圧をかけて加速力を生み出し、衛星をその物理的な力でレールの上でも滑走させ放出するランチャーのモデル実験用の装置かと思いました。
 「電気推進って何ですか?」と聞いたところ、「電子レンジみたいなもので、ガスをイオン化させ、そのイオンを電磁気的に(要は電位差ですね。)加速させることで、その反発力を使って前に前進させるものです(だったかな??正確でなくてごめんなさい。当時の担当の方か国中さん)。ふーん、面白いことを考えているな~、面白うそうだから、リストに入れちゃえ、という感じで予算措置が出来ました。

 それから、確か2~3月の頃だったと思うのですが、宇宙科学研究所の担当課長さんだったと思うのですが、国の宇宙開発計画になるよう要望したいということで、それも二つ一緒にそうしたいと持ってこられました。公文書で来てしまうとYes or Noを公文書で回答することになってしまうので、非公式なものとしての打診だったと思います。
 その時に持ってきたのが、「はやぶさ」と今は「あかり」と愛称がつけられている赤外線天文衛星の計画でした。
 当時は、私が担当責任者になって初めて宇宙開発計画への要望を決める年度になるので、興味津津、わくわくして聞いた覚えがあります。二つとも面白い計画であることは、担当課長の素人的な説明でもよくわかりましたが、正直言って赤外線天文衛星にはわくわくはしませんでした。
 ですが、「はやぶさ」の計画にはものすごく興奮した記憶がかすかですが残っています。担当課長さんに、「これ、やったら世界で初めてですよね。世界一ですよね。先端研究機関はこういうことをやらないと駄目ですよ。そうそう、これですよ、これ。」などと矢継ぎ早に何か言っていた記憶が蘇ります。「これを要望に考えていきましょう。」と言って帰ってもらいました。どうも後から聞くと研究所としては二つとも要望としてあげたかったらしく、担当課長さん、研究所に帰ってから頭を抱えていたと聞きました。
 
 でも、中期的な資金計画から考えれば、二つ走らせるのはとても無理なところです。リスキーさで考えれば、赤外線天文衛星については、肝心のミッション部分の望遠鏡については既に「SFU」という宇宙機で稼働・観測の実績があり、「おかま」と呼ばれる冷却構造(魔法瓶みたいなものです。)を除けば普通の地球周りの衛星ですので、リスクは低いものでした。ですが、「はやぶさ」は計画それ自体がリスクの塊みたいなものでした。
 推進はイオンエンジン(エー、今実験装置でモデルレベルで耐久試験やりはじめたばかりじゃないの??)、どこに行くの?小惑星!(エー、ハレー彗星が地球に近寄った時にそばでもないところを通り過ぎただけじゃないの?)、サンプル回収(エー、どんなもの持ってくるの?月でさえやってないじゃない。)、地球帰還(エー、大気圏突入の実験機失敗したばかりでそんな技術ないんじゃないの?)、といった感じでした。(  )書きはほとんどの上司や同僚が発した感想に近いところです。
 ですが、リスキーは私が一番好きな言葉です。こういうところに挑戦するのが大事です。登山でも結構私はリスキーな岩場や下りが大好きです。
学生時代、ソニーのウォークマンにあこがれ、ウォークマンの開発秘話を書いた本をむさぼり読み、盛田昭夫さんの開発にかけた意気込みとその動機にあこがれてもいました。ウォークマンも当時はとてもリスキーで社内では反対が多かったそうです。確かにスピーカーのない音楽再生機なんて当時は売れそうもないですもんね。私もそうだったのですが、音楽を聴くのには大型のスピーカーを持つステレオでレコードからというのが本筋でしたから。
 いささか脱線しましたが、そういう性格の私だったので、迷わずリスキーを選び、と同時に責任も覚悟しました(本当に職を辞める覚悟まで出来ていたかは、今から思うとそこまでは考えていなかったかも知れません。)。

 時期になって、公式に宇宙科学研究所から要望の依頼があがってきましたので、職場の関係部署と相当上の方に説明をして了解を取った上で、宇宙開発計画への新規要望として提出しました。当時の方々は私のような考え方を理解してくれたのかどうか、今は謎ですが、絶対的な反対はなかったと思います。直接の上司である、補佐や課長も「本当に大丈夫?出来るの?」といった問いかけはありましたが、要望として出すことの後押しをしてもらったことは間違いありません。職場がある意味のリスクの容認をしてくれたことは、今考えれば大きかったですね。その後の宇宙開発の推移を職場で体験した私の感覚では、失敗が許されない環境になったその後や今では絶対無理ですね。「はやぶさ」のようなリスクの塊は・・・・。
 リスクの容認の話については、川口さんが数物連携宇宙研究機構発行のIPMUニュースのプリンストン大学天体物理学者エド・ターナーさんのインタビュー記事の中で、引用させていただきますが、「ですから非常に大きなリスクを抱えていました。政府はミッションの提案時点でそれに留意し承認しています。ですから、政府はある種のリスクを容認してくれたのです。」と語っています。
 詳しくは、IPMU第12号のIPMUインタビュー 
http://www.ipmu.jp/ja/node/950
を見てください。
 ターナーさんもこう言っています。「私が割に良く知っている他の宇宙関係のミッション、主にNASAですが、それと「はやぶさ」を比べてみて一番強く感じたことは、リスクの許容度が非常に高いこと、つまり失敗の可能性を進んで受け入れたことです。」これは、リスクを容認というか、そういう意思の形成の一つの駒であった私にとって非常にうれしい言葉ですね。ありがとう。川口さん、ターナーさん。

 宇宙開発計画への要望として提出した後で、さて、困ったなあ、となったのは、確か、計画の審査の過程で委員から質問され答えなくてはならない、成功基準、達成基準といった評価はどうするのですか?というようなものでした。
 何しろ、リスクの塊である「はやぶさ」計画は、100満点の減点方式だとどんどん下がる一方の評価になりますので、研究所に今までの考え方ではない、新しい考え方が必要ですよね、といった問いかけをしたような気がします。それを考えてもらい、審査に返し納得してもらわないと宇宙開発計画としては承認されませんので。
 その考え方としては、上杉さんと川口さんが考えたと聞きましたが、世に名高い、画期的な「加点方式」が研究所からあがってきました。「あ、これはいいな、これでいけるな。」と思い、その線で審査に返し、審査の場で上杉さんから説明したと覚えています。いろいろな意見はあったように記憶していますが、その当たりの経緯は、当事者である川口さんや上杉さんが鮮明に覚えておられ、、本やマスコミ取材等で語っているのでそちらで確認してください。

 しかし、すごいですよね。本当に帰ってきたのですから、しかも、ちゃんとサンプルのかけらを持って帰ってきて。
 間違ってなかったですね。リスクを容認して。リスキーさが大好きで。こんなに国民の方に受け入れられて、後世に残せる一大事業に貢献できて。ある意味、時代を作れたかなあ~、生きている価値があったなあ、とほっとしています。映画が何本もつくられちゃうんですもんね。

 上杉さんや川口さんには、一緒に喜んでくださいとC&C財団が25周年を記念して特別賞として「はやぶさ」チームの代表者としてお二人を表彰した際に、ゲストとして招待いただき、しかも、祝賀の晩さん会で江崎玲於奈先生の次にお祝いの言葉をのべる、感謝の言葉でしょうかね、機会を与えていただきました。詳しくはC&C財団の25周年記念表彰式祝賀会
http://www.candc.or.jp/kensyo/2010/ceremony.html
を見てください。

 喜んでいます。一生、忘れないでしょうね。こんなことはめったにないですから。

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[ 2011/04/26 16:36 ] 宇宙開発 | TB(0) | CM(0)

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