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どこ行った? あの衛星

 今回は相当前の話になります。
 平成7年ですから今から16年前でしょうか。私が宇宙の仕事に携わりはじめて9か月ほどたった頃でした。通商産業省から委託を受けた「EXPRESS」衛星という回収型衛星の打ち上げが鹿児島県内之浦であるというので、担当者として内之浦に行きました。確か、1月15日だったと思うのですが、冬の寒い日で素晴らしい晴天だったと思います。打ち上げは軌道の関係もあり、夜の11時近くの頃だったと思います。ロケットが点火され、晴天の漆黒の闇をまぶしい光を放射しながらあがっていきました。

 ですが、通常、ロケット発射後は定期的に放送される「ロケットは順調に飛行しています。」というアナウンスが数回の後、途切れました。ロケットは漆黒の闇の中、光の点となって見えています。でも、どうも上昇角度がおかしい、高すぎると思ったのですが、見えているので大丈夫なのかな、とも思い、内之浦の観測所の管理棟に戻りました。

 他の招待者なども戻り、会議室を控室にした場所で打ち上げ結果を待っています。私自身は、管理棟の事務室に入り、打ち上げ状態はどうか、と聞きましたが、何か、はっきりしません。したがって、取りあえず、役所には「打ち上げは無事行われました。今、衛星からの電波待ちです。はっきりしないのですが、大丈夫じゃないでしょうか。」と報告するしかありませんでした。

 そのうち、通商産業省の担当者が駆け足で管理棟に入ってきました。これは何かあったな、と観測所の所長室に向かいました。中には、研究所の所長のAk先生とロケットの責任者のM先生がいまして、心なしか青い顔をしていました。
「どんな感じですか?」と尋ねたところ、驚くべき話になっていました。ロケットが打ち上げ後、姿勢が崩れて上昇角度が上向きとなり速度不足になった。あげくの果てに第三段のトラポンが不調になり行方不明になった。衛星からの電波は内之浦、南米のサンチャゴでいったん受けたが、その後、不明。という話だった。軌道も近地点が高めであるため反対側が低くなる異常軌道に投入された。
 「どこに行ったのですか?」「よくわからない、衛星電波が受信できたので切り離されたのは確かだけど」「この衛星は回収型だから落下しても破壊されませんよね。どこに落ちるかわからないのはどうなんでしょうか?」「NORAD(北米防空司令部)に衛星が軌道上にあるかどうか確かめてもらおう。」といった緊迫した会話をした覚えがあります。結局、NORADの回答はそれらしき物体は軌道上にない、というものだった。残されたデータと計算の結果、太平洋上に落下した、と発表しましたが、今、考えれば恐ろしい話ですよね。落下するタイミングによっては、都市部に余り細かくならずに衛星破片が落下することも考えられたので。
(結果的には、衛星は大気圏突入をしっかりと行い、ガーナに無事着地していたことが1年後くらいにわかりました。いやー、報道からはたたかれたことたたかれたこと。)

 役所には打ち上げ失敗の一報を入れ、翌日の一便で東京に戻り、対応策を役所に残っている上司と検討することとなりました。既に未明になっていますが、タクシーで鹿屋市のホテルに戻り、ひと眠りしました。したとはいえ、2時間程度まどろんだというのが実際でした。よく考えれば、招待客もしばらく何も情報を入れないまま、放置状態だったような気がします。関係者の招待だったという点を割り引いたとしてもいけない対応だったと思います。

 翌日は朝の5時頃、鹿屋市からタクシーで鹿児島空港に向かい、羽田空港からモノレール、山手線、銀座線を乗り継ぎ、役所に駆け込みました。駆け込んだ後は、次の週の国会対応や役所関係の説明まわりやらの資料作成等を行いました。やっと一段落した頃は、もう午前様だったような気がします。月曜日以降は大変だろうな、朝刊でも扱いは大きいだろうなと思いながら、帰宅しました。

 つくばの自宅に着き、少し寝ようかとお風呂に入り、何の気なしにTVをつけてみました。そうしたら、大都市のあちこちで黒煙があがり、高速道が崩れている画面が映りました。TV自体は大変なことが起きているというような放送ではありませんでしたが、地震や火山の業務をしていた私にしてみれば、これは大変なことが起きた。どこだ。とそれこそ真っ青になったことを覚えています。これが阪神淡路大震災の第一報的な映像だったと記憶しています。

 当然、報道はこの大震災一色になりましたのでEXPRESSの話は吹っ飛びました。国会・役所もそれどころではありませんでした。その後、2/21に開かれた科学技術委員会でAk所長も参考人として呼ばれ私も上司の対応の補助として同席しました。この質疑の中で、議員から宇宙開発事業団と宇宙科学研究所と二つの機関があるが一元化はどうか、聞かれたのに対してAk所長が言った「やはり適当な競争関係ということによります一種の緊張関係のもとに進められる」ことが大事という言葉は明解で冷静な良い言葉だと思いました。当時、科学技術庁長官はT先生でしたが、質疑の対応中、じっとこちらを何故失敗何かするんだ、私が大変じゃないか、というような眼で睨んでいたのが今でも残像として残っています。

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[ 2011/05/11 00:21 ] 宇宙開発 | TB(0) | CM(0)

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